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※これを読まれる方は、私がピアノ演奏一本でやっていると思われる方もいるかと思いますので書いておきます。私は音楽の仕事をしていますが、ピアノ演奏一本で生きているわけではございませぬ。分かりにくいので、一応。

 

3歳からピアノをやっているので、もう30年近くピアノをやっていることになる、と話すと、時々

「ピアノをやめようと思ったことはないんですか?」

と聞かれることがある。

お答えしよう。

やめられるものなら、やめたい、と。笑

ピアノをやると言うことがどれほどコスパが悪いかは、皆さんなんとなくご想像がつくと思う。時々仕事の年収について書いてあるサイトとかを見たり、別業界の話を聞くと、音楽を仕事にすることのコスパの悪さがわかる。自分で言うのもなんだが、もし音楽とは関係のない仕事にここまでつぎ込んできた労力を注げば、それなりのことが −−特に経済的に−− できたんじゃないかと勝手に思っている。(というか、音楽とコスパという言葉が似合わなさすぎて笑える)

「好きなことを仕事にできていいね」と言われることもあるが、音楽が好きか嫌いか、との感情はもう失せた。好きで好きでたまらないと公言できる人が羨ましい。「好き」という気持ちにはこれまで十分傷つけられた。こんなに好きなのに、なんでこんなにできないんだろうと何億回思ったことか。「好きこそものの上手なれ」という言葉があるが、あれは裏を返せば「好きなら上手になるはずで、好きなのに上手にならないならもうクズだよ(意訳)」という意味なのだ。私はクズなのだ。好きなことは趣味が良い、というのはそういう意味だ。好きだったはずのことにボロボロに傷つけられて、自分のことまで死にたいくらい大っ嫌いになるくらいなら、好きでいられるくらいの距離でいる方が良い。恋愛と一緒だ。

音楽の話をするとやたら熱くなることもあるが、それも別に好きだから、というよりはそればかり考えざるを得ないから、という感じだし、知り合いや友達が主に音楽関係のヲタクで、その話しかできないコミュ障だからというのも理由にある。

とは言え、私はもはや、音楽をやめて生きていく方法がわからない。少ないご飯代が出せない。ピアノを弾く量は時期や仕事の内容によって増えたり減ったりするけれど、全滅したら人生がマジで

「No music, no life(物理的な意味で)」

となる。さらに厄介なことに、私のメンタルはピアノを弾かないと病んでいくところまで訓練されている。

ピアノを弾かない=いけないことをしている罪悪感=私はクズ=メンヘラ煮込み完成

という循環が見事に出来上がっているのだ。(書いてて思ったけど、怖いな・・・。)この、「いけないことをしている罪悪感」というのは幼少の頃から音高音大留学生活そして今と、親、先生、友達、同僚ありとあらゆる周囲から刷り込まれてきて自分でも自分に刷り込んできた洗脳感情なので、3日間くらいピアノを弾いていないと自動的に立ち上がるように私にインストールされている。そして私はこの感情を正しいと思って、かなりこれに依存している。メンヘラとDV彼氏の関係的な部分がよく見える。

さらに恐ろしいのは、私の周囲もこの感情に汚染されていることだ。数年前に一度、私は「さすがにもう良いや」と思った。当時は今よりもさらに何もうまくいっていなくて、自分の音楽は誰にも必要とされていないとよく理解させられたし、心の底から思い知らされた。

そうして一度、私は音楽を手放した。一ヶ月くらい。一ヶ月くらい弾かないと、「弾かない」という状態に脳みそが慣れてきて、怠けられるようになる。そうして少し解放されたら、おばあちゃんに

「乃衣ちゃん、最近ピアノを弾いてないでしょう。どうしたの?嫌になっちゃった?」

と本当に悲しそうな顔で言われた。おばあちゃんは私が子供の頃に練習で母に怒鳴られて外に出されて殴られた時にも常に助けてくれて、いつも私をかばってくれた。時々帰省してピアノを弾いていると、リビングで私の練習をいつのまにか聞いていて、

「乃衣ちゃんのピアノが聴けると嬉しいねえ」

と言ってくれた。そんなおばあちゃんに悲しい顔をされると、あの罪悪感が私の中にあっという間に戻ってきた。しばらくすると私はまたピアノを弾くようになった。

そういう風に、最後に私はいつもピアノを選んでしまう。下手くそなくせに。誰にも必要とされていないとわかっているくせに。

不動産屋でも割高の楽器可の部屋を探し、本番があると言われればスケジュールを調整し、このキモい情熱に理解がない人とは付き合えず、労力に見合った賃金がもらえなくともさらい、SNSにはセクハラメッセージが届き、世間からは世間知らず高齢ピアノお嬢さん扱いされ、

いったい私は何をやっているのだろう?

これら全てに対しても、「でも音楽が好き」と心から思えれば耐えられるけれど、好きかどうかすらもはやわからない状態で、本当に私はいったい何をやっているのだろうか。

慰めとか、励ましとか、アドバイスはいらない。悲しいけれど、何を言われても心に届いてくれない。

私はこういうことを思いながらも、自分のダメさを知りながらも、続ける。しかも能動的に音楽を続ける。できうる限り、人生を削ってでも、続ける。なんでか、わからないけれど。

私には音楽が必要だ。喜びにも悲しみにも、肉体的にも精神的にも音楽が必要だ。無くては生きていけない。そのドロドロな感情全てをひっくるめたとき、音楽を好きだと思いたい。私がやっているのは、音楽が好きな人がやることだ。だから、音楽を心から好きだと、心の底から思いたい。でもそれには、まだまだ自分の中の自問自答が必要そうだ。

 

 

これは、好きってことですかね。病んでますかね。

 

 

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