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年々Facebookというツールにはうんざりさせられているのだが、時には有益な情報もある。スクロールしていたら、以前共演したことのある友人が大学の作曲コンテストで良い成績をおさめて、学生オケが近所の大学ホールで演奏するというお知らせが流れてきた。そういえば日本でもオケの演奏会にはしばらく行っていなかった。めでたいし、新曲を聴くのも好きなので、出かけることにした。

コンサートは8時始まりでちょっと遅かったので夕飯を食べてから行くことにした。ど平日だし、学期はちょうど終わりに差し掛かってるし、弾く方は大変だろうなと想像する。プログラムは友人の新曲・Leshnoffという作曲家の2台の打楽器のためのコンチェルト・ショスタコの5番。なんだかいい感じで楽しそうなコンサートだ。免許取り立てなので慎重に運転して会場に向かった。ノロノロ運転だったが、道は簡単だったのですぐついた。だがそこから駐車場がよくわからなくてぐるぐる回った。何度もきているはずなのに分からなくなるのが本当に謎だがなんとか停めて会場に向かった。この時点でコンサート30分前くらいだったが、楽屋口を通って会場入り口に行く際に、会場入りしているオケの人たちがまあまあいて、ああそういえばオケの人ってギリギリに来てすぐ帰ったりするよなと思ったりした。

観客も全然いなくて大丈夫かなと思っていたが、時間ギリギリになると人が結構入ってきた。舞台の上を見ると久々にみる友人が楽器を調整し、打ち合わせをしている。打楽器科出身で作曲家になった人だけあって打楽器が舞台の上にいっぱいある。待っているうちに時間が来たが、当然の如く始まらない。アメリカのコンサートっぽい。日本でも2−3分遅らせることは結構あるけど、アメリカだと10分くらい遅れるのが「礼儀」って感じだ(もちろんオンタイムで始まるコンサートもある)。

客席は奏者の友人たちであろう学生や若者と、白人の裕福そうな中高年層で埋まっている。大体アジア人か白人だ。これはどこに行っても大体共通しているので、クラシックコンサートの客席に座っているとアメリカにおける「多様性」って何なんだろうなと思わされることが結構ある。結局似たもの同士で集まってるだけじゃん、と思ったりもする。ちなみに日本人率は日本人が出るコンサートでは高いのだが、そうでないコンサートにはあまりいない。とはいえ私も野球にあまり興味ないのに大谷翔平が来る試合には行ったりしているのだが、自分も含めて日本人の日本人贔屓(内田光子とか日本人ではないけど、コンサートにはわんさか日本人がいた)って何なんだろうと思った。ただ海外における日本人コミュニティの弱さは問題になっているらしいし、私も常々情報網の薄さに困らされてきたので、簡単に文句を言えるものでもなく、「難しい問題ですね」という他ない。

話がそれた。何分か遅れて舞台にはついに奏者がわらわらと入ってきた。結構大きな編成だ。友人の作品は「サムルノリ」という韓国の伝統的な打楽器を使ったカルテット形式のパーカッションアンサンブルをベースに作ったものらしい。今調べてみたら、伝統楽器を使ってはいるが、1978年に始まった比較的新しいものなのだと書いてあった。新曲はその「サムルノリ」に則ったリズムやストラクチャーで書かれているのだそうだ。指揮者はおそらく韓国人女性の学生で、軽快に走って入ってきた。かっこいい。こういう、おしとやかを求められない感じが好きなんだよな。

演奏が始まると、用意されていた打楽器が惜しみなく登場し、太鼓がバンバン鳴った。私は今年、日本で秩父夜祭には行けなかったけれど、これだけ太鼓が聴けると屋台囃子が聴けなかった残念さも昇華される。複雑な歴史があるので容易に口にすることははばかられるけれど、故郷の音楽との類似も感じたし、また違いも感じた。うまくオーケストラに落とし込まれていて、そんなに長くない曲だったけど、調性感もあって聴きやすい。これを友人が作ったんだなあと思うと、なんだか心から感動して、聴きに来て良かったと思った。こういう風に今生きて自分が参加している世界を描いてくれるから、現代音楽を聴くのが好きだなと思う。日本にいた間も結構いろんな新曲を聴きに行くチャンスがあったけど、どれも印象的で楽しかったし、作曲家という職業を心から尊敬している。私もいつか誰かに委嘱して新曲を作ってもらうプロジェクトをやりたいと心に決めた。

そう決めたら、2曲目の2台のパーカッションのためのコンチェルトはまさに奏者主導で作られた曲だった。指揮者は大学のおじいちゃん先生にバトンタッチし、ソリストも大学の先生たちだったが、その内の一人と委嘱者の苗字が一緒だったので、おそらく彼の委嘱作品だと思う。出てきて演奏が始まるのかなと思ったらトークから始まった。サプライズがあるらしい。困惑するオケ奏者を見て「They have no idea what we are doing, because we just decided to do this(彼らは私たちが何をやっているのか全く知りません、何故ならこれをやることは今決めたので)」などと言っている。何をやるのかしらと思ったら、先立ってスティーブ・ライヒの「Clapping music」を演奏してくれるらしい。有名だが生で聴いたことはなかったし、嬉しい。二人で全く同じリズムを手で叩いて行くところから徐々にリズムがずれていき、それがまただんだん戻ってくるというシンプルだけど腕が鳴る構成。「ピアノ・フェイズ」とかも同じタイプの曲で、音大生がソルフェージュや初見のクラスでやったりすることもある。打楽器のソリストがまさに身体を楽器にして演奏してくれるのを見られるのは嬉しい。言ってみれば繰り返しリズムを手で叩くだけの単純な曲なのだが、それゆえに集中度が高く、ハラハラするような気持ちで二人のアンサンブルに強く惹きつけられた。

ライヒの後に、やっとコンチェルトが始まった。3楽章制でかなり調性的!聴きやすく楽しく、奏者はマリンバや太鼓、銅鑼の間を走り回るので視覚にも楽しく、まるで映画音楽のようなエンターテインメントだ。最近の作曲家ってこういう音楽と12音技法的な複雑な音楽を両刀で作れるからすごいよなと思う。アートと資本主義の狭間を生き抜くにはこうするしかないと言われてしまえばそうなんだけど。こういうコープランド的潮流はずっと引き継がれていて、まだしばらく続くのかもしれない。資本主義社会に生きる私は演奏を聴いて「Apple musicに落としたい」と思った。

コンチェルトが終わると休憩時間になったので、友人に挨拶に行った。NYからプレミアを聴きにきた彼とはかなり久々の再会だ。少しだけ近況を話して、祝福した。終始嬉しそうだったので本当に良かったなあと思った。

第二部はショスタコの5番。これはめちゃくちゃ私見なのだが、アメリカ人はショスタコがかなり好きだと思う。1番はベートーヴェンだが。話がちょっと逸れるが、国によって人気がある作曲家には微妙な差異があって、たとえば日本人はショパンを愛するが、アメリカ人はベートーヴェンを愛していると思う。別に日本でベートーヴェンが人気がないとか、アメリカでショパンが人気がないというわけではない(んなことはない!)。なんとなく多くの人々が作曲家の持つイメージや物語をひっくるめて愛しているのがその作曲家だと感じる、という話だ。ベートーヴェンの持つ「不屈」とか「苦難を乗り越えて歓喜を」というイメージや新しい音楽を作っていった姿勢がアメリカ人の持つ開拓精神を刺激するのかもしれないと予測している。ショスタコーヴィッチは時代も新しく、冷戦など実際に自らの経験と重ね合わせている人も多いので、ベートーヴェンとは少し人気の種類が違うが、彼の持つ強いドラマに多くの人が惹きつけられているという点では共通しているかもしれない。また、冷戦で敵対したアメリカとソビエトだが、こと音楽に関してはアメリカはロシア音楽に対してどこか自らにない憧れのような感情を持っているような気もする。

というわけで、演奏前に今度は引き続きおじいちゃん指揮者の熱いレクチャーが始まった。しかも、曲の断片を折々にオケが断片を実奏するという用意周到っぷり。《カルメン》との類似性を語るためにメゾソプラノの歌手まで連れてこられて、ハバネラの一節を歌ってくれた。その思い入れにちょっとびっくりはしたが、私は何かが大好きな人がその大好きなものについて語っているところを見るのは好きなので、彼の個人的な思い入れも含めたショートレクチャーを聴くのは楽しかった。ショスタコはまた、世代によっても解釈が分かれる作曲家だと思う。実際に冷戦を経験したアメリカ人音楽家にとっては思い入れが強くなるのは当然だろう。アメリカでも冷戦時にはコープランドをはじめ音楽家たちが締め付けられた。ソビエトとは逆の「難解な」音楽を作ることによって、前衛的な音楽が受け入れられる風土のある自由の国というイメージ戦略のために、コープランドのような分かりやすく誰もがアクセスしやすい音楽を検閲したからだ。えげつない。そんなわけで指揮者のレクチャーはまあまあな長さに及び、彼がロストロポーヴィッチに会った時の話に辿り着き、ついに終わった。「ショスタコーヴィッチの表現したいことと、スターリンが聴きたいものの真ん中にあるのがこの音楽なのだ」というメッセージが印象的だった。

オケの演奏は熱かった。いや、あの曲は熱くならざるを得ないか。それにショスタコの5番ではあんなにオケ中ピアノが活躍するとは知らなかった。チェレスタと二刀流で忙しく働いていて、すごいと思った。カルメンからの引用部分も「なるほど〜」と思った。L’amour(愛)という言葉を繰り返している箇所が引用だそうで、確かにこのハバネラは、愛の歌でもあるし、自由の歌でもあるもんね。命懸けで観衆が受け入れやすい曲を作らなきゃいけない局面で、みんな大好きカルメンを引用するのも賢いアイディアと思った。また、この5番やブラームス1番の終楽章を聞くと、「やっぱオケいいなあ」と羨ましく感じた。いや、オケ中ピアノはあってもね、なんか違うんだよ。みんなで熱く弾いてみたかった!

終わった後はアメリカ恒例、とにかく何があってもスタンディングオベーションでヒューヒューやるやつ。特に学生オケなので、祝祭感があった。日本ではブラボーおじさんが話題に上がっているらしいが、このコンサートでは純粋に楽しく拍手ができたので良かったと感じた。アメリカにもブラボーおじさんはいるんだろうか。そしていたとしてもあんなに話題になるんだろうか。ならない気がする。

コンサートはライヒやらレクチャーやらやりたい放題?なサービスを加えたために、長時間に及び、終わった時は予定より遅くなっていた。あまり遅く帰るのもなんだったので、終わって割と早めにホールを出たつもりだったが、楽屋口では再び風のように去っていくオケメンバー達に遭遇した。本当にはけるの早いな。

久々にオケを聴きにいって、本当に良かった。今年は個人的に非常にバタバタとした年で、モチベーションを保つのが難しいと感じた時もあったが、コンサートに行ったことでまた頑張ろうと思えた。良かったです。

終わり。

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